物書き編。何を書いて居るか/読んで居るか等。
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 見に行ってきました。
 ネタバレを臆面も無くやってるので気をつけてくださいね。



 さてどこから話したものか。あんまり巧く纏められる自信がないです。
 いつもの通り、主題とその付近にしか言及しない事にします。

 前置きに、庵野監督について知っているコトを少し書いてみませうか。
 旧作の劇場版、TV版25・26話を見て判る通り、エヴァンゲリオンという作品に於いて『観る側を排除して』作品を作った人物だと言って差し支えないと思います。他作品はいざ知らず、あのロボットアニメ一つを見る限り、果てしなく世に対し斜に構えて製作したであろう、あれは問題作です。何故かと云えば、庵野監督が社会へ対する強烈な不信感を持っているから――という予想を抱くのが普通ですな。
 じゃ、その不信感を抱くに至った理由は何なのか。
 それは、無論それが全てでない事は前提でしょうが、GAINAXでとあるソフトhhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E8%84%B3%E5%AD%A6%E5%9C%92を製作・販売した際に、PTAに激しく糾弾された故――というのが通説だそうです。案外有名な話かもしれません。
 だから破滅願望がある、とコメントした事もあるそうです。
 実際、旧劇場版のラストは同じPTA弾圧の過去を持つ永井豪の代表作・デビルマンの経過(アスカ崩壊…シンジの覚醒)と結果(ヒーローとヒロインの二人を残し後はあらゆる全てが破滅)を模したように、あらゆるモノはLCLという水溶液へと昇華され、ヒトとして形を留めたものはシンジとアスカの二人のみ、という終息した世界に成った所で幕を下ろします。

 自身の中でエヴァンゲリオンってのはそういう’’’’作品であり、庵野秀明という監督はそういう’’’’人物であり続ける予定、だったのですが。
 作品というモノが時代の為に変わったのか、人格というヒトが年月を経て変わったのか、新劇場版に於いて、その自分的通念が全く覆された――というのが感想でした。

 シンジが「逃げちゃ駄目だ」の暗示なしに、覚悟をしたんです。
 勿論、過酷な状況下で容易く突き崩されてしまいそうになる覚悟ですが、それでも、あの彼が。
 具体的にネタバレをしてしまうと、新劇場版・序はあの正八面体の使途(名前忘れました)の殲滅の所までなんですが、あの――(わからない人はきっとここまで読んでないと思う!)ポジトロンライフルの一射目を外し、反撃を受けた所……次射の為に即行動に出なければならないその時に、恐怖で動けなくなってしまうんですね。そこでゲンドウが、初号機パイロット(シンジ)の更迭を言い渡す。これはTV版に無かった、この新劇場版の為に追加されたシーンです。
 此処で95年のままならば、本当に動けないままだったと思うんですが。
 今のシンジは動いたんです。TV版には無かった要素……ミサトに見た覚悟につられたか、トウジとケンスケに貰った声援を糧にかして動きやがりました。You are (not) alone.という事です。
 割と様々なコトを思いました。ああ、一つの映画作品として完結させる為にカタルシスを持ってきたんだなーとか、この新劇場版から入る人への配慮なのかもなーとか。
 でも一番大きく感じたのは――単に、庵野監督もようやっと、人に認められるという事を実感したのかな、という事でした。だから、そこに様々なビジネス的な意味が含まれたシーンだったとしても、それをして’’’’’自然だな――と思うしかなかった。建前も本音も一つに束ねられた感覚。
 横に座ってる妹とかもう関係なくて、不覚にも泣きましたわ。二十を過ぎると涙腺が緩いのなんのって。泣いてる理由が色んな意味で重症だってコトにも気づかず泣いた。

 所謂『おめでとう』、というヤツ。

 面白かったです。
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